プール学院短期大学と桃山学院教育大学付近らしき梵字ヶ芝から東に100メートル、陶器山を登ると陶器山トンネルがある。陶器山を登った道は陶器山トンネルから陶器山通りと名前を変えて下っていき、狭山ニュータウンを横断していく。陶器山通りと交差するように、陶器山の尾根にそって天野街道が走っている。天野街道は「女人高野」天野山金剛寺へお参りに向かう信仰の道で、天野街道から西側が和泉国、東側が河内国だった。
 弘法大師空海が陶器山を歩いていたところ、笹が風でカサカサと音をたて、同行者の話が聞こえなかった。空海の加持祈祷で、陶器山の和泉国側には笹が生えなくなったため、笹無谷と呼ばれるようになったという。当時、空海は高倉寺に灌頂の道場を構え、この地に腰を据えて後進の育成や宝塔建立にあたっていた。空海伝説は数が多く、300とも500とも言われているが、なぜか空海の怒りをかった末路に関するものが多い。万能の知識人で、厳しい修行を積み、万人のために行動した空海が些細なことで立腹して報復までするとは考えにくい。民衆の中にある自分の至らなさへの引け目や怯えが幻を見せたのではないだろうか。

 現在、陶器山一帯にはチヂミザサ(縮み笹)が生えていて、笹無谷ははっきりとはわからなくなっている。前出の梵字ヶ芝も、空海が彫った「かんまん」という梵字が千年以上埋もれず奇麗な水をたたえ、草も笹も生えなかったと言い伝えられているが、同じくわからなくなっている。伝説が本当だとしたら、千年以上耐え抜いた末、勢いを盛り返した笹の生命力たるやおそるべしである。

写真=陶器山の西側で笹無谷と呼ばれるところ

(2019(平成31)年3月28日号の記事を再掲載しました)

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